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03年10月 メールマガジンVol.144

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今回は昨今の自殺ブームに於いて幾度と浮き上がる「セカイ」という鵺的な言葉の謎について。
尚、"自殺ブーム"という社会現象の説明は本項では割愛させて頂く。

自殺ブームにおける自殺の特徴として主だった点は御周知の通りこの不可解な共通語である。
自殺した者たちは互いに面識が相無いにも関わらず、恰も示し合わせたかの如く現場には「セカイ」と殴り書きされた奇妙なメモ、
ノート、切れ端等が遺書の代替とも云わんばかりに見つかっているのである。


自殺未遂で奇跡的に一命を取り留めたとある高校の生徒のカウンセリングを担当した心理学者の調査レポートに拠ると、
生徒曰くセカイとはセカイであって特定の何かを指すものではない、との事。

また、ある証言では現実を逆さまにしたような死生観を反転させた事象世界を指し示し、 どうもそのような定義を「セカイ」と呼称しているらしいのだ。
何とも曖昧な表現であるが所謂、三途の川とは違い
生死の両次元にも属さない全く根底から別の謂わば虚数的なニュアンスなのだろうか、
そこは云わば楽園みたいなもので、と云うのは自身にとって不要な記憶のみが忘却されるというから楽園とされ、
―丸で(希)神話で云うレーテーの川を連想するが―故に自ら望んだ自我を保持したまま永劫的意識を知覚するという。

とどのつまり意識が顕在的に残留して知覚されると云う意味では凡そ生の次元に近いのかもしれない。

余談だが我々が生涯の中で最も触れたがらないもの、それが「死」の認識である。

古来より人の生活に宗教観が蔓延している所以について、"死を合理化する為の防衛機制に他ならない"と云えば少し暴論かもしれない。
人は生まれる以前を思い出せないように死後世界に関する疑念は実にナンセンスでありおこがましくも思える。
死の見解は何もスピリチュアルな範疇に膠着する訳ではない。
中には通常の意識状態を変性意識状態(つまりトランス状態のような意識)
へ変換する事によって死後世界が垣間見えるとする学説も在る。
とは云え確定的に実証されない以上それは憶測の域を脱せず、現代科学を以ってしても未だ漠とした定義付けに百家争鳴としている。

何を拠り所にセカイなる存在を認め、「死」がそこへアクセスする為の唯一の連絡路だと信じて疑わず、
そして何があたら身を散らした彼らをそこまで突き動かしたのか。
興味は止まない。


麻倉ツトム@K大学民俗学研究室..